NNNドキュメントからの取材に際して①
- ぬっぺふ
- 6 日前
- 読了時間: 10分
更新日:5 日前

どうも。元熱血教員で不祥事教員、現社会福祉士でピアサポーターのぬっぺふです。
前回ブログを更新してから早幾年。更新は滞っておりましたが、「不祥事教員および予備軍のための座談会(=自助グループ)」を軸に地道に活動は続けておりました。
そんな甲斐もあってか、10月には新聞記者の方に、11月にはテレビ局の方の取材を受けることができ教員不祥事についての「当事者側からの視点」をお伝えすることができました。よかった、よかった。
…さて、本題はこの後です。
今回の一連の取材に際して、久しぶりに自分の教員時代の記録を見直したり「自助グループ」でのやりとりをチェックしてみたりしたのですが…
どうも「教員不祥事のメカニズム」について自分達なりの整理がついてきているような印象を受けたのです。
同時に、以前は明言出来なかった「結局ぬっぺふは自分の不祥事は条件次第で起きなかったと思っているの?」という問いについても自分なりの答えが出てきたようで。
そこで、今回は2025年11月段階での「不祥事の捉え方」および「ぬっぺふの行動方針」、そしてテレビ取材された11月8日の「不祥事教員および予備軍のための座談会(=ぬっぺふの運営する自助グループ)内容について整理しながら、ぬっぺふの活動の方向性をお伝えできればと思っています。
では、行ってみましょう!

1.不祥事の捉え方
さて、まずは不祥事の捉え方です。
私はこれまでブログの中で不祥事を様々な言葉で言語化してきました。
時には発達障害の二次障害の一側面として。
時には依存症の一側面として。
そして時には周囲への「過剰適応」への「対処法」として。
…どれも的確に不祥事の一面を捉えていると思っています。ですが、これらの説明は個々の不祥事を説明するツールにはなっても万人が理解しやすいものではなかったとも感じています。
今回お伝えする「種と環境モデル」はそういった意味では誰でも理解がしやすく、今後の不祥事対応のあり方を方向づける上でも役にたつ捉え方です。知っていることで不祥事の捉え方も変わるでしょうし、何より自分自身が不祥事予備軍となってきた時に立ち止まるきっかけとなるかもしれないものです。おそらく現状この国で唯一の「不祥事教員達による不祥事理解のモデル」、ぜひ有効活用して頂ければと思います。
①基本理解
「種と環境モデル」では、不祥事に繋がる要素として「種」と「環境」の相互関係を大切にします。個々人の中に備わっている「種」と、周囲の「環境」との兼ね合いの中で不祥事の芽が生まれ、やがて花が咲く。
ゆえに、不祥事を理解するにはどちらか一方ではなく双方への視線が必要ということになります。
※そうした意味では本人の生活機能を個人因子と環境因子から捉えていくWHOの「ICF(国際生活機能分類)や、医療や福祉といった支援を捉える視点の一つである「生活モデル(=問題を本人と環境との適応関係という視点から見直し、個人だけではなく環境への働きかけを通じて課題解決を目指す)」と同じ視点です。
オリジナルの理論というよりも、それらの見方を不祥事にあてはめる際のイメージを提唱しているとご理解いただければと思います。
また、「種」と「環境」の相互作用の中でも特に危険度が高まるのが「救いや癒し」が降りてきた瞬間です。健全な状態であればプラスに働くはずの要素が、置かれた環境によっては本人とその他を地獄に落とす「蜘蛛の糸」となりうるのです。
個人的には、この3つの関わりで大抵の不祥事は説明ができるかと感じています。
以下ではそれぞれの単語について確認していきましょう。
ア 「種」
不祥事の種です。多かれ少なかれ誰の中にも存在しますが、人によって種類も大きさも異なります。幼少期からの体験などから作られていくもので、表面上からは見えないケースも多いです。
例えば先天的な特徴(脳に起因する能力や発達の凸凹など)。
家族の性質(過干渉、不干渉、家族神話の影響など)。
生育過程での影響(依存症、性的嗜好、発達障害の二次障害など)。
…そういった本人の人生全てから作り出されていきます。
「種」は非常に個別性が強いため、「この種は入れたくない」「こういう人はこの種を持っているはずだから事前にはじきたい」といった対応はまず取れません。厳格にそれをやろうとすれば「差別」に繋がることさえあります。
同じような種を持っていても、花が開ききる人もいれば途中で枯れる人もいる。そもそも発芽せず、健全な教員としての才能を開花させていく人も。
…そうした結果の違いに繋がっていくのが「環境」の影響です。
イ 「環境」
「種」の成長に影響を与える要素です。各学校の文化、本人の置かれた立ち位置、繋がっているサポーターの有無などが挙げられます。
学校によってその文化は大きく変わるため、一概には扱えませんが不祥事の種を発芽させやすい環境というものはやはりあるというのが当事者としての体感です。
例えば職場内での「疎外感」や「不遇感」は不祥事を引き起こす原動力になりえますし、定時退勤に代表される様々なガイドラインを平然と無視する文化なども「自他の境界」や「公私の境界」をあいまいにさせて「種」が花開く手伝いをしてしまいます。
学校内以外にも、家庭や友人関係も大切です。
多忙のために外部との接触が途切れてより環境から負の影響が強まったり、家庭で子育てがはじまったためにそれまで本人にとって安全基地だった場所がなくなったり…という変化は短期的には問題に見えなくとも、確実に種に肥料を注いでいる環境といえます。
ウ 「蜘蛛の糸」
本来ならば救いの糸のはずが、それをきっかけに不祥事に繋がってしまうケースがあります。
座談会ではそうした要素を「蜘蛛の糸」と呼ぶことがあります。
例えば本来であれば生徒と恋愛関係にならないような人が、学校において疎外感と不遇感を抱え込んでいたとします。そこに自身を全肯定してくれる生徒が現れ、身体的に接触を図ってくる。
冷静であれば生徒の行動が「単純な幼さからくる憧れ」であったり「愛着に障害を抱えた子に起きやすい性化行動の一種」と気付くことができたりします。
しかし本人が窮地に至っている際は、目の前に垂らされたその糸をつい掴んでしまう。結果重みに糸は耐えかねて地獄へまっしぐら…
この蜘蛛の糸が切れずにギリギリ支えられているタイプもいます。
家庭崩壊しても部活に出続ける「熱血部活顧問」。
20年近く学校に居座り、気分で周囲をひっかきまわす「巨匠」。
生徒との共依存に酔い続ける「自称生徒の味方」。
…彼らは自分を支えてくれている糸を手放せません。離すように語りかけてくる相手を蹴り飛ばしてでも糸を死守しようとします。
結果、明確な不祥事教員にはならずにすんでも「不適格教員」になって周囲を困らせているケースもあります。
②そこから見える対処法
さて、この「種と環境モデル」では教員が種を持っていること自体は問題視しません。
なぜなら、そこに焦点をあててしまうと個別性が高くなりすぎて「不祥事のメカニズム」ではなく個々の精神分析に近付いていってしまうからです。
焦点をあてるのはあくまで環境との相互作用。種を持っていることではなく、「不祥事の種が発芽するかどうか」に気を配らなくてはいけません。
なお、どのような環境が不祥事の種を育てるかについては座談会などを通じてある程度共通点が見えてきています。
ア 曖昧な境界線
※定時退勤がほぼなされていない、教員と生徒の距離が必要以上に近い、グレーゾーンは破ってなんぼ、休日と平日の境がない働き方…
イ 滅私奉公
※生徒のために自分を削り続けなくてはいけない同調圧力、部活へ顔を出さないと評判が落ちる、出張届が間に合わない時に年休を使ってグレーゾーンの動きをとる…
ウ 疎外感
※職員室内が大きな派閥に牛耳られている、自分の頑張りが評価して貰えない環境、陰キャ気質の人も陽キャを求められる、自分の大切にしたい教育のポイントが周囲とずれている…
エ 不遇感
※特定の人に集中する仕事、責任は与えられるが権限は与えられない職場、多忙によるプライベートの喪失…
オ 学校外との繋がりの断絶
※結果、自身を客観視することが出来なくなってくる
この5つが重なっている方は、かなり自身の不祥事の種を育てているかもしれません。そうした状況で「蜘蛛の糸」が現れたら、危ないかも…
※また、不祥事が起きる前にはその不祥事を起こせるくらいまで自我が退行することがあります。その前兆として「言葉遣いの変化」はわかりやすいです。前ならば言わないような言葉や恫喝が出やすくなっている……それは厳しい指導が出来るようになったのではなく、貴方の人格が退行してきている表れなのかもしれません。
こうした個々の変化の理由を本人のみに求めず、環境との相互作用によるものと捉えることができれば学校が取るべき対応は自然と見えてきます。
個別的すぎて全体で対応するのは難しい「種」への対処を重視するのではなく、「不祥事の種を育てやすい環境」を探りそちらを改善すれば「発芽率」を下げることができます。
問題傾向が見えている教員に対しては種を変容させるのではなくまずは環境を整えるよう動けばいいのです。
※例えば中国では問題の起きた学校は一時的に教員を加配し、問題が起きなくなるまで人的余裕を確保します。
…難しいのは先述したような「蜘蛛の糸にしがみつきながらギリギリ教員を続けているケース」です。
本人にとって捕まっている糸(特定の生徒や教員であることもあれば、部活動そのものや生徒指導につかまっていることもあります。何らかの依存症になっている人も多い)を離せば地獄に落ちると思っているのですから、環境を変える提案などを素直に受け止められないことも多いです。ズルズルそのままでいるうちに花が咲いてしまうことも。
その場合は、別の糸を作ってあげないといけないかもしれません。無意識のうちに「これを離したら死んでしまう」と思ってしまっている本人の努力に寄り添って本人の自己肯定感を高めてあげたり、仕事を減らして外部と繋がれる余暇を用意したりするきっかけが必要です。
③ なぜ対策がうまくいかないか
先述したように、確実に効果を上げる不祥事対策とは「種」ではなく「環境」へのアプローチです。
※「種」への対処も大切です。ですが、それは個別性が高すぎて全体でやろうとすると「特定の属性を持った教員の排除」という方法に繋がりかねない怖さもあります。何より、「病識の無い病人に正論を伝えても効果が薄い」ように、「病識のない不祥事教員に正論」は通じにくいです。
教員は「割れ窓理論」を語る割に、自分達の環境は割れ窓どころか壁にヒビが入ってたりします。
悪い種がぐんぐん育つ環境を用意しておきながら、一生懸命外から入ってくる苗に妙な種が混じってないかを調べている。
結果、不祥事の種を取り除くのではなく素晴らしい教員の種まで摘んでしまっているのが今の不祥事対策です。これでは成果などでなくて当然。
一方で、環境面へのアプローチをするためには絶対に足りないのが「現場の余裕」です。これは現場レベルでどうにかなるものではなく、国や県へのソーシャルアクションが必要な分野。
にも関わらず、いまだに不祥事はあくまで個の問題として切り捨て、集団の中に「不祥事教員」と「それ以外の善良な教員」がいるような言説で教員の間を引き裂いている有識者もいます。
不祥事教員とそれ以外の教員はスペクトラムです。誰だってふとしたことから不祥事教員になり得ます。その可能性を視野に置き、「ではそうならないためにはどのような環境が必要なのか」を論じない限り、不祥事の種は必ずどこかから発芽していくでしょう。
4.最後に
以上、「種と環境モデル」についての説明でした。
本当は、このあとこのモデルに基づき「ぬっぺふが自分の不祥事や現在の活動をどう捉えなおしたか」と「11月8日の自助グループではどんな内容が話されたのか」に繋げていくつもりだったのですが…
いつもの癖で長文となってしまったので時間が足りなくなってしまいました・・・
なるべく早く続きをまとめられるよう努力します。
というわけで、本日はここまで…

